我が家の自閉っ子のマリオ(現在は青年ですが)の成長と、自閉独特の面白?話をお送りします。現在、 管理人がマリオの恩師と一緒に「ハッピー・クローバー」という障がい児・者を応援する会を作りました。障がい児・者の余暇を広げるためにいろいろな事にチャレンジしていきたいと思ってます。先々はマリオも手伝ってくれるといいな~

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今回は、最近思っている事をまとめた、そんな独り言です。
ちょっと誤解されるかもしれないし、人によってはひょっとして不愉快に思う方もいる
かもしれない。だけど、一人の自閉症児の父親の本音として、こんな風に思う人もいる
んだなっと思って、聞き流してください。

続きは下記へ↓
マリオが生まれるまで、私自身は「障害」ということに格別な関心もなく、また接点も
ほとんどありませんでした。だからという訳ではありませんが、例えば白い杖をもった
人は目の不自由な方なんだから、その人の前をさえぎったりしないよう配慮をしなきゃ
ね、という程度の認識しかありませんでした。

たまたま父の会社の近くに養護施設があり、たぶんそこに通ってるであろう人…私から
したら不自然に笑ったり、彼方に目線をおいたり、そんな方々をみかけても、ことさら
関心を寄せるわけでもなく、むしろちょっと避けてたくらいでした。

自分の記憶をたどれば、小学生の頃にクラスに発語がうまくできない子が同級生にいた
のですが(仮にAさんとします)、当時の子ども達はその子を正直小バカにしてました。
言葉を上手く話せない、その子に対して「バブ」とあだ名をつけ、直接どうこうする訳
ではないものの、自分らと同じ存在としてではなく、距離をおいたからかいの対象とし
てみていたように思う(今から思っても、ひどい話ですね)

ある時、小冊子(劇の台本だったかな)をクラスでつくることになり、休みの日に皆が
集まって製本したわけですが、その表紙にイラストをいれようということになり、絵が
得意だった私が皆の個々の台本になにかを書くことになりました。劇の題材は確か3匹の
子ブタだったと思う。40人分の絵をかく訳で「これはこの人の分」「これはオレの分」
とクラスメートに言われて手渡された本に、次々にブタの絵を書いていったのです。

そして、Aさんの分の本のイラストを書くときになりました。そのとき、まわりから
「これは、バブの分だぜ!」といわれたのを覚えています。その言葉にのっかり、私は
思い切り目つきの悪いブタを、つまりひどい絵を、面白半分で描いてしまいました。

それを受け取った私のクラスメートは、そのまますぐにそれをAさんに手渡したんです。

そのときのAさんのちょっとさびしそうな表情を、今でも私はおぼえています。でも、
Aさんは何もいわず、私の描いたブタの顔の下に、自分でかわいらしい服を書き加えて
いました。自分の手で、少しでも自分の本を良くしようとしていたんです。その光景を
傍目にみて、私は「なんてひどいことをしてしまったのだろう…」と後ろめたい気持ち
になりました。

でも。。。そのときはAさんに何もいえなかった。
「ごめんね」という一言がいえなかった。

小学生の5年くらいでしたから、生まれつき言葉が話せない…障害ということは理解は
していたと思う。だけど、自分が当たり前にできることができないということに、蔑視
というと極端だけど、自分とは異なる存在としてしかみてなかったのだと思う。

そして、
自分の本はかわいくきれいな本にしたいという、自分と同じような気持ちをもつ、自分
と同じ存在なんだということに気づいたのだけど、周りがからかいの対象として扱う、
その子にきちんと振舞えなかった、その空気に対してあらがえなかった。

本当に、申し訳ないことをしたと、今でも思っています。


私が自分の今まで生きてきた経験の中では、回りにいた障害者って、後にも先にもこの
Aさんだけでした。

この間、Toshi さんから紹介いただいた本
命育む学校―子どもに惚れる〈PART2〉島本恭介 著



の中に、障害者の学校施設ができるということで、近隣住民から「何をしでかすか分か
らない連中」がはいる施設の建設は反対だ!というする声があがったという話がのって
いました。

それに対しての、島本さんのことば

「無知は偏見をよび、偏見は差別をよぶ」

本当にそのとおりなんだと思う。もちろん差別は良くないし、そのさきがけとなる偏見
もよくない。だけど偏見や差別という事象だけを問題視して規制しても、実は根本的な
解決にならない。人間には「感情」という自然にわきでるものがあります。こればかり
はどうしようもない。いくら頭で偏見は良くないとわかっていても、なんかこわいという
感情はおさえきれない。この感情レベルの偏見は、やはり「無知」をどうにかしないと
解決しないと思うのです。

私は、このAさんに対して、障害者ということに対して、あまりに無知でした。
無知ゆえに、無理解でした。無理解ゆえに、浅はかな行動をとってしまってました。
「人」として扱うことに欠けてしまっていた。

ただ無知だからといって、「教科」のような教えこみをすればいいのかというと、私は
それでは十分じゃないと思う。

例としては適切ではないかもしれませんが、私が子どもの頃はまわりには「外国人」は
ほとんどいませんでした。だから、目が青いだけで、髪が違うだけで、言葉が違うだけ
で緊張する。そして極端な場合、畏怖したり、蔑んだりする。外国人が犯罪をおこした
というだけで、外国人すべてを警戒したりもする。

だけど、今は昔にくらべて、岐阜のような田舎街でも外国人はたくさんみかけるように
なりました。みかけるだけではありません。ルイージの同級生に、母親がフィリピン
の方がいて、すぐ身近に同じような境遇で普通にいます。カリンの話によれば、若干風
習や発想の違いに戸惑うことがありながらも、自分たちと同じ「母親」として毎日顔を
あわせ、同じように生活をしています。

外国人が私たちの「生活の中」に存在することが、あたりまえになったわけです。

それと同様に、障害をもつ人も、私たちの生活の中に当たり前に存在するようになれば、
自閉症児が小さい頃から当たり前にまわりにいれば、どんな子なのか、どういう対処を
すれば良いのか、そして普通の子どもと同じ「子ども」なんだという事を、自然と地域
社会の中で共有していくことになるのではないか。

訳のわからない存在から、ちょっと変わってるけど面白い「子ども」に、
なっていくのではないか

もちろん、ただポンっと放り込むだけではダメでしょう。
そう私が小学校の時のAさんのように、なりゆきにまかすと異質な存在として排除して
しまう可能性もあり、それでは逆に本人を深く傷つけてしまう。
だから、うまく導く存在、きちんと教える存在も必要なのかもしれません。

でも、障害者を、障害児を、訳がわからない・社会に迷惑をかけるかもしれないからと
いって、社会から隔離するようなことだけは、やめてほしい。

自閉症児が、普段の私たちの生活・社会ののそこかしこに、普通に、あたりまえにいる、
そんな世の中になってほしい。

そんな願いを最近いだいています。

子どもの頃とはいえ、ひどいことをしたAさんに、今更許されるはずもないのですが、
謝りと後悔の気持ちをふくめ、そんな状況にならないようにしていかなければいけない。
そう思うのです。


これは、障害児をもつ親の側の願いであり、一方的な都合なのかもしれません。

障害児とつきあうことは、やはり骨が折れるし、労力がいる。
だから、つきあわされる方の思いや都合を考えていないのではないか、といわれれば
そのとおりかもしれない。

私は、健常児にとっても、障害児とつきあうことで、かけがえのないものがえられるの
ではないかと思っています。ですが、それを障害児の親である私がいっても、どうして
も一般的な説得力に欠ける部分があるとも思っています。

だから、これは、願いなんです。
自閉症者が普段の生活の中で、当たり前に存在する社会になって欲しいという。


私みたいな子どもがまだまだいるだろうから、そしてそんなまま大きくなった大人がいるだろう
から、日本はまだまだ障害者・自閉症者がくらしていきにくい社会だと思う。
そんな社会が少しづつでも変わって欲しい、いや変えていかなければいけない
そう思うのです

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コメント
この記事へのコメント
心のやさしい人に育てて下さい。そうすれば、誰からも愛されると思います。
2006/04/28(金) 09:55 | URL | ポチ #-[ 編集]
上手くいえないのですが
トラックバックさせていただきました。
でも上手く書けてないような・・・
2006/04/28(金) 11:35 | URL | こうめ #-[ 編集]
思うんですが
これは自分の子が障害児だからこそ見えてきたことなんですよね。
世間には自分の身にかからないと理解できないことがたくさん有ると思います。
かくいう私も娘がそうじゃなかったら"障害"に無関心だったかもしれません。
表向きの差別はなくなったとしても、いつの時代も心の中の偏見はぬぐおうとしてもぬぐえないでしょうね。
2006/04/28(金) 13:34 | URL | 馬場エマ #-[ 編集]
おっしゃるとおりですね!
そうですね、
最後は「その子」がどんな子か、という点にかかってきますよね。障害児だとか健常児とか関係なく、人として愛される子どもになること…それが心のやさしい子なんだということになってきますよね

おっしゃるとおりに思います
2006/04/29(土) 00:16 | URL | Hideki > ポチ さん #JalddpaA[ 編集]
どうもありがとございます
記事よませていただきました。他の子と普通に交流させてあげたい、我が子もそれを望んでいる(かかわりをもとうとしてる兆しがある)。だけど、まだそれをする環境の下地も準備もできていない。。。そんなジレンマは、私も感じてきました。ついつい焦り・いらだちになっていってしまいます。

でも、少しづつではあるけど、広がりはできていくと思う。いや、そう願ってます。マリオは特殊クラスの同級生に「親友」と呼べる存在ができました。ぶぅくんにもきっと、そんな出会いが生まれますよ!
2006/04/29(土) 00:22 | URL | Hideki > こうめ さん #JalddpaA[ 編集]
たしかに
そういう出会い(マリオという障害児を授かったということ)がなかったら、きっとわからないことだという、エマさんの仰ること…そのとおりだと思う。

でもね、エマさん。一方で、10年前と比べて、ずいぶんと社会が自閉症という障害に目をむけるようになったと思いませんか?20年前とくらべるとさらに。

レインマンという映画が、自閉症を世の中(といっても米国でしょうが)に知らしめる大きな契機になったときいてます。

でも、最近は、わが国でも「光とともに」「君がおしえてくれたもの」というように、正しく自閉症をとらえた話がTVドラマとして登場するようになりました。もちろん、某防衛庁長官のように、まだまだ誤解している人も多い。だけど、徐々に徐々によくなってきてると思う。

いっぽうで今の小泉さんは、自己責任の名目のもと、ハンディのある人につらい世の中をつくる施策を展開しつつあります。もちろん福祉と財源という簡単じゃない問題を裏にかかえているわけですが、だからこそ拙速にすすませるわけにはいけないとも思うのです。

「ユニバーサルデザイン」…言葉ばかりが先行した感がありますが、これを本当の意味で実現していけるかどうか?が、これからの大きなポイントになってくると思う。
2006/04/29(土) 00:32 | URL | Hideki > エマ さん #JalddpaA[ 編集]
こんにちわ
ゴールデンウイークだというのに何の予定もない馬場です。

さて
>でもね、エマさん。一方で、10年前と比べて、ずいぶんと社会が自閉症という障害に目をむけるようになったと思いませんか?20年前とくらべるとさらに。

確かに自閉症も一時のひきこもり的な意味合いじゃなく正しく理解されるようにはなってきました。
でもこういう事例もあるんですよ
ある人がネットで子犬あげますと募集していたので申し込んだら、相手が職業とか聞いてきたんだって
その人は自閉関係の専門家だからそう答えたら、相手は丁寧に断ってきたとか。。。
何故か分かりますか?
相手はTVで「うちの子自閉症」(だったっけ?)を見たことがあり、自閉だったら犬とかの可愛がり方を知らず虐待するかもしれない(本人にそのつもりがなくても)
それだと犬がかわいそうだから、そういう理由で断られたとか。
自閉の専門家ではあっても、その人は自閉症ではないのだけど職業柄、自閉児といつも接触しているし犬も連れてくることがある。そういうので敬遠されたとか。
自閉が認知されるのはいいけど、一方で詳しく知った上でかえって拒否的になる人もいるのだなと考えさせられました。
正しく知る=偏見がなくなる・・・わけではないんですね、残念ですが
2006/04/29(土) 13:00 | URL | 馬場エマ #-[ 編集]
 わたしも、Hidekiさんがおっしゃるように、数十年前と比べても、ずいぶん社会全般に、障がいへの理解は進んでいると思います。そして、これからも、どんどん進んでいくと思います。
 それは、わたしが、自分の居住する地域の学校のことしか分からないけれど、わたしが初任者だったころに比べると、交流教育は確実に進んでいると思うからです。自然なふれあい、さりげないなかでの思いやり、そういう光景をずいぶん目にするようになりました。これはやはり現在の教育の成果だと思います。
 Hidekiさんは、ご自分の子ども時代のことを、悔やむ思いで書かれていらっしゃいますが、それは、当時、ごくふつうの少年が、そうせざるをえなかった、そういう心理状態に置かれていた、それだけの教育でしかなかったという、当時の学校教育のまだまだ未熟だった、その現れに過ぎないと思います。わたしも多分当時教員だったと思うのですが、その一人として、申し訳ない思いになります。だから、わたし自身も、年を重ねるにつれて、その点、努力したつもりではいます。

 にしこさんからも、宿題を与えられている気分でおりますので、わたしも、そろそろ記事をまとめたいと思います。そうしたら、TBさせてくださいね。

 なお、上の記事、手違いで、送信されてしまいました。削除をお願いします。すみません。
2006/04/29(土) 18:38 | URL | toshi #-[ 編集]
僕もHidekiさんと同じです。
子どもの頃は全く関心も無かったし、接点も無かったです。
障害児の親になって初めて自分の無知を思い知りました。
我が子に障害があることをやっと受け入れたばかりで、回りの人にどう働きかけて行けばよいか、まだ手探りで、身動きできません。
それでも、いつまでもじっとしていられませんし、考えてばかりもいられない。
動き出さねば・・・
と思っています。
2006/04/29(土) 23:25 | URL | 政道 #NUpTSsbk[ 編集]
”違う”ということ
フランスでハーフの自閉児の子育てをしています日本人ママです。
昨日、ボランティアで子どもと遊びに来てくれる24歳の重度障害者のお嬢さんを持つ男性と子供のことを話しました。
障害や年齢は違っても、”親”として共感できることがたくさんありました。
人と”違う”ということはいろいろな差別を生みます。
障害者の痛みが本当の意味で”わかる”ていうことは本人として、”実体験する”か、親として実体験するかでないと難しいのではないかと思います。
”差別”されたことがなければ、”差別する”ことがどういうことなのかわからなくて当然なのです。
私は海外に住んで初めて”不当に差別される”(はっきりではないけれども、日本人ゆえ、気づいてしまいます。)という経験をしました。
経験として言えることは、”違い”を理解しようとする人もいれば、理解しようとしない、あるいは理解する能力のない人もいる、ということです。
でも、少なくとも”わからせよう”という動きがなければ”わかろう”とする人たちは現れないということははっきりしています。
学校教育とか、政府の指針がとか、そういうことの前に”すべての”違いを持つ子どもたち(障害児)”の親が連帯してすべての人間が”均一ではない”し、”それぞれの違いを受け入れていく”ように、世の中の固定観念を変えるように働きかけて行く必要があると思います。
本当に”障害児の生活”がないであるか、わかっているのは”親”と”本人”しかいません。
自閉症児の数は劇的に増えているということです。いかに彼らの居場所を確保していくかはこれからの私たちの大きな課題であるし、私たち、”親”から働きかけていくよりほかにないと思います。
がんばろう!!
2006/04/30(日) 07:21 | URL | Gabrielle #-[ 編集]
正しく知っているかどうか
うちは、GWの予定もなければ、金もないですよ(汗

> 一方で詳しく知った上でかえって拒否的になる人もいるのだなと考えさせられました。

これなんですが、本当に自閉症者・自閉症児は動物をそのつもりがなくとも虐待しちゃうのでしょうか?

たしかにマリオをみていると、加減のとりかたに戸惑うさまは見て取れます。だけど、ひとつひとつ、教えていけば、むしろ「傷つける」ことに人一倍過敏になるくらいなんじゃないかと思う。

まぁ、仰るように、本当に動物を虐待するのなら、それへの警戒は偏見ではありません。

いっぽうで、もしそうじゃない…自閉症児といえど動物を虐待するわけじゃない、のだとしたら、お話にでた「相手の方」は、じつは正しく自閉症を理解していたわけじゃないことになりませんか?

> 正しく知る=偏見がなくなる・・・わけではないんですね、

むしろ、今回のエマさんのお話こそ、正しく知らないからこそ生まれた偏見…過剰防衛、過剰対処の一例なのではないかと思うのです。

だからこそ、「正しく理解」してもらうことが一層大切なんだと思う。正しく理解してもらえないからこその偏見です。正しい理解なら、それは偏見(偏った見方・間違った見方)とはいえないのではないでしょうか?
2006/05/01(月) 00:55 | URL | Hideki > エマさん #JalddpaA[ 編集]
教育の成果
> 交流教育は確実に進んでいると思うからです

私は昔の交流教育を知らないですが(…子どもでしたし、また大人になっても意識もしなかったから)、マリオの通った学校をみるにつけ、自分の子どもの頃よりも交流はよくしてくれてるなぁと感じます。…まあ、そういう学校を探して選んだわけですから、当然かもですが。

私の親などが昔に言ってた言葉などは、偏見に満ちてて、とてもここに書けません。

それ(偏見)が、悪いこととして、認識されてきたということだけでも、社会が学校が、障害についての偏見に対して長い間尽力してこられた成果なんだろうと思います。そこは、本当に感謝してもしつくせません。

でも、やはりまだまだ問題も残っています。とくに、表面化しない(陰湿化)のは厄介です。また、良し悪しが結構ばらついていて、平準化できてないのも悩みの種です。

ただ、ただ望んでばかりなのではなく、自分達のほうからも少しづつ変えていくように働きかけていく必要がありますね。

Toshiさんの記事、とても刺激になるので楽しみにしています。
2006/05/01(月) 01:07 | URL | Hideki > toshiさん #JalddpaA[ 編集]
マイペースで自然体に
> 我が子に障害があることをやっと受け入れたばかりで、回りの人にどう働きかけて行けばよいか、まだ手探りで、身動きできません。

> それでも、いつまでもじっとしていられませんし、考えてばかりもいられない。

> 動き出さねば・・・

NAO君、ほんと可愛いですね。NAO君の表情をとおして、政道さんの思いがとても伝わってくる気がしてます。

話はかわりますが、私の記事を読んで、カリンが「そんなに私いろいろやってるかなぁ…」とちょっと考え込んでました。

「でも、まわりに味方がいっぱいできたでしょ」というと、「それは確かだ!」と納得してました。

カリンにいわせれば周りの人が良い人たちばかりだったから、だそうです。でも考えてみれば、良い人といっても悪い側面をもつわけだし、悪い人と思っても良い点ももっている。

一言でいえば、まあ「能天気」だったわけなんですが(汗、彼女は気負わず自然体で上手くやってきたのかなぁと感じてます。無用には波風たてないように、妥協もしつつ、それでも最低限のラインはとる。

100点満点じゃなくていいから、いま全部かなわなくてもいいのだから、自然体で気負わずに行くのが一番なんだと思います。

がんばらないように、がんばりましょう!
(訳のわからない表現ですね…汗)

2006/05/01(月) 01:17 | URL | Hideki > 政道さん #JalddpaA[ 編集]
はじめまして!
Gabrielleさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

> 経験として言えることは、”違い”を理解しようとする人もいれば、理解しようとしない、あるいは理解する能力のない人もいる、ということです。

> でも、少なくとも”わからせよう”という動きがなければ”わかろう”とする人たちは現れないということははっきりしています

これはもうホント、おっしゃるとおりですね。素晴らしいコメントありがとうございます。

一生懸命やっても理解してもらえない、という結果は寂しいですが、理解してもらえない人のことを嘆くよりも、一人でも理解してくれる人が増えることを喜んだほうが良いですもんね。

そして特に大事なのは、「長く続けられること」なんだと思うのです。「闘い」は疲れます。私達が疲れちゃうのは、とりもなおさず我が子に良くないと思う。

だから、あせらず、気負わず、やっていきたいと思います。
2006/05/01(月) 01:23 | URL | Hideki > Gabrielleん #JalddpaA[ 編集]
残念ですが、
みんなが、心やさしい神様ではありません。あなたも、身内を大事にするときは神様かもしれませんが、身内が他人に心や身体を傷つけられたら、鬼となるでしょう。それでいいのです。そして、それが、生き物の本能ではないでしょうか。そのひとに、問題がふりかかってこなければ、死ぬまでわからないのでは、、、。でも、ほかの人も、別の問題や悩みを必ずもっています。みんな、それぞれ、生きていくのは大変なんです。自分が一番大変と思うと、本当にそうなります。もっと、周りを見てください。愛する人が、治らない病気になったり、事故にあったり、会社や学校で精神的に追い詰められ自殺したり、子供が親が、殺しあつたり、、、でも、なんとか、乗り越えなければと頑張ってるひともたくさんいます。私からみれば、五体満足で、やさしくて、愛情あふれるご家族、理解してくれる友人たち、、、こんなに、恵まれてるではないですか。もっと、もっと、と思っていては、幸せは逃げていきます。私の経験から、他人に自分の意見を強要することはできないように思います。お願いも、、、。逆に引いていくのでは、、、。私は、かりんさんのように、あまり、気にせず、明るく家族みんな健康であれば、、、そう、健康であれば、それが一番の幸せではないでしょうか。
いつの時代も人間の本質は変わっていません。なぜ、いまだ、戦争があるのでしょうか。戦争反対の声が大きくなり表向き変わったようで、今は生物兵器や、科学兵器に、遺伝子組み替え食料汚染、まだまだありますが、すべて人間が作って人間を殺しています。悲しいことに変わってないのです。




2006/05/01(月) 06:19 | URL | ポチ #-[ 編集]
神様と悪魔
ポチさんの仰ること、良くわかります。勘違いされたかもしれませんが、今・現在をただただ悲観・悲嘆するだけになるよりも、今できないことを嘆くよりも、今の幸せを感じ、今できたことを喜ぶほうが良いということ…本当にそう思います。

このことは、昔記事にしました。
http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-14.html

ただ、

> みんなが、心やさしい神様ではありません

一方でみながみな、悪魔でもないと思うのですよ。人はその内面に、神様の側面と悪魔の側面をあわせもつと私は思う。そして、その境目となる、ひとつの原因に、今回の記事にあげた「無知」「無理解」が大きく占めると思うのですよ。相手を自分と同じ「人」として、認識してもらうこと、…それが、まずは大きな一歩なんだと思う。

> もっと、もっと、と思っていては、幸せは逃げていきます。私の経験から、他人に自分の意見を強要することはできないように思います。お願いも、、、。逆に引いていくのでは、、、。

大事なのは「理解」ですので、意見を「強要」するのは、たしかに良くないですね。

でも、一方で、「あるべき姿は願わないことにはかなわない」とも思うのですよ。

『自閉症児が、普段の生活の中で、当たり前に存在する社会になって欲しい』と、願うこと、…そう願うことが、願うことすら、いけないことなのでしょうか?

そして、今・現在の成果や良くなった点はきちんと認めながらも、いっぽうでまだまだ問題である点を「問題点」としてきちんと認識し、その原因を考え、それを改善しようとする、…そういうことをしない限り、決して良くなっていくことはない。私はそう思います。
2006/05/02(火) 09:39 | URL | Hideki > ポチさん #JalddpaA[ 編集]
教えてください
お父さんの日記で、マリオ君を想う気持ちの強さが痛いほど伝わってきます。正直、私も、よくわからないんです。表向きには、道徳的な意見をいいますが、、、。話が違う方向にいって申し訳ありません。たとえは全然違うのですが、私が前からいつも疑問に思っていることですが、生き物で食べられる生き物と、別にペットや動物園で幸せに暮らしている生き物がいる、、、。この差は一体どこからどの基準で選ばれているのでしょうか?動物愛護団体っていうのは、ベジタリアンなのでしょうか?私は、鳥や魚や肉を食べる時いつも疑問に思っています。そして、今だに、魚をさばくことができません。かわいそうだから、、、本当にそう思います。それでいて、外食する時は美味しくいただいています。卑怯ですよね、、、。また、次の日には、外にいる鳩やスズメに食パンなどあげて、かわいいな、なんて思ったりする。そして、夜にはから揚げを食べたりします、、、。自分勝手なんです、、、。そんな自分だから、、、知らず知らず差別をしているから、、、人に強くいえないのかな、、、
2006/05/02(火) 15:34 | URL | ポチ #-[ 編集]
続きでもうしわけありません
あと、今ふと思ったのですが、人間や生物って、環境の変化によって進化し続けているわけですが、少しずつ自閉症の子が増えているということは、もしかしたら、個性的な特殊能力を持って私達に何か訴えかけているのかもしれませんね。その、メッセージに耳をかたむけていかなければならない時代に突入したのかもしれません。
2006/05/02(火) 16:48 | URL | ポチ #-[ 編集]
ポチさんへ
hidekiさんお久しぶりです(憶えておられるかな?)。
思案が進んでいますね感心しています。

ポチさんは非常にピュアな感性をお持ちだなと感じました。

同じように自閉症児もピュアな人達です(かりんさんの記事を読めばものすごく伝わりますね)。
ピュアな人ほど生きにくいと感じてしまいます。
その運命にあえてチャレンジするならば、生を誰よりも実感できるのではないでしょうか。
スマートな人達には感じられない世界でしょう。
幸せはすべてが揃っている合理的(スマート)なことを言うのではありません。

目の前のことにチャレンジすれば泉のように湧いて出ることだと思います。

そこには自閉症の子供の支援に、上手い下手でたじろぐことなくチャレンジ続ける人が寄り添っています。

私もhidekiさんも沢山の支援者がすでにいますよ。
すべてのピュアな人にエールを送ります。

2006/05/02(火) 18:55 | URL | JA12C #rcysf8oI[ 編集]
Hidekiさん
 大変申し訳ないことに、『翌日記事にします。』が、何日もあとになってしまい、やっと今日、TBさせていただきました。
 ご批正いただけたら幸いです。

ぽちさん
 おっしゃることはその通りと思うし、正しいが、そして、個人としては、そういう心のありようは大切だと思うが、しかし、事柄の一面でしかないとも思います。
 もう一面の、訴えること、分かってもらおうと努力することも(ちっとも分かってくれないと嘆くことなく。まあ、少しはありますが、)大切ではないかと思うのです。
 世の中、おっしゃるように、ちっとも変わらない側面もありますが、でも、確かな(?)歩みで変わっていく面もあります。
 人間は反省もしますしね。すてたものでもありません。未来に絶望せず、過度の期待もせず、着実にと言ったところでしょうか。
2006/05/03(水) 11:09 | URL | toshi #-[ 編集]
再度、ポチさんへ
 申し遅れました。わたし、『退職校長ブログ』『小学校初任者HP』のtoshiと言います。
 Hidekiさん、かりんさんのブログではありますが、すみません。
 ポチさんの提起された問題は、食育教育の大切なテーマでもありますので、一言、ふれさせていただきます。
 地球に生物が誕生してから、食べる、食べられるは宿命です。わたしたちは、他の生き物を食べさせてもらうことによって、命を保ち、子孫を残しているのです。『いただきます。』の心は、他の命をいただくことによって、自分の命を永らえさせていただく、つまり、生かさせていただくことへの感謝だと思います。
 肉食動物のライオンも、自分が生きるために、小動物を襲うのであり、自分が今満腹であれば、いくら小動物が目の前を横切っても襲うことはないと聞いています。
 だから、動物を食べることと、かわいがることは決して矛盾しないと思います。食べる欲求の対象となる動物と、愛玩の対象になる動物がいることは自然なことだと思います。
 ただ人間が残酷なのは、捨ててしまうのに、趣味で釣りをしていたり、飽食のあまり、食べ物を食べ切れずに、捨ててしまうことだと思います。命をいただくどころか、命を意味なく捨てているのは、いけないことでしょう。
 でも、これとて、一切食べ物を残すなでは、生きにくくなります。残さないように心がけるというくらいでいいのではないでしょうか。
2006/05/03(水) 11:32 | URL | toshi #-[ 編集]
 《私は、鳥や魚や肉を食べる時いつも疑問に思っています。そして、今だに、魚をさばくことができません。かわいそうだから、、、本当にそう思います。それでいて、外食する時は美味しくいただいています。卑怯ですよね、、、。また、次の日には、外にいる鳩やスズメに食パンなどあげて、かわいいな、なんて思ったりする。そして、夜にはから揚げを食べたりします、、、。自分勝手なんです、、、。》
 このポチさんのコメントは、少し問題性をはらんでいます。ポチさんは、『卑怯ですよね。』とおっしゃっていますから、以下の論旨とは関係ないのですが、つい数十年前までは、生き物を殺す人と食べる人は一致していたので、卑怯という感覚はなかったわけです。しかし、現在のように、食肉工場で働く人と、食べる人が分離してしまった今では、ともすると、ポチさんのおっしゃるような矛盾が出てきます。
 そこで、一般的には、自分は何の矛盾を感じることなく、食事をしていながら、食べ物を作っている人に対し、『あの人達は、生き物を大量に殺していて残酷だ。』という、とんでもない、職業差別が存在しています。
 わたしたちにとってなくてはならない食べ物を生産してくれているのですから、あらゆる産業に携わる人同様、感謝の思いがなくてはならないと思います。
 ほんとうに残酷なのは、(産業や、食べるための釣りをしている人は、自然な営みですが、)趣味で釣りをして捨ててしまう行為、大量に食べ残すわたしたちだという感覚が大切だと思います。
2006/05/03(水) 12:01 | URL | toshi #-[ 編集]
自生と共生
こんにちは

う~ん、ちょっと難しい話ですね。人間、というか全ての生きとし生けるものは、他の命を殺めて生を得ているのは確かなんです。自分が生きるためには、他を踏み台にすることになる。一方で、動物…とくに人間は、独りでは生きていけない。他と一緒に共に生きていくことも必要になる。

この、一見相反する、矛盾が、いろんな場面で、悩ましいジレンマを生んでいるような気もします。

同じ生き物でも、あるときは「自分の餌」に、またあるときは「家族」に思う、そんな気持ちの「ゆらぎ」も併せ持っていますよね。

あくまでも私見ですけど、同じ「鳥」でも、「食べ物…栄養源」とみるのは本能的・生理的な欲求、「仲間…家族」とみるのは精神的な欲求、心の欲求なんだと思う。誤解しないで欲しいのですが、これは本能的なものが上・精神的なものが優れるというものではなく、双方とも大切なものだと思っています。

ただ、この双方をきちんとバランスよくもっていることが重要なんだと思う。つきとめて考えると、矛盾することが多いように思えますが、これは両立できる思うし、両立しなきゃいけないものだと思うのです。

とくに、精神的なもの…心の欲求としましたが、それは大半が生まれたあとに、社会の中で、家族の中で育まれるものじゃないでしょうか。

世の中の鳥に、魚に、家族と思える気持ちを持つというのは、恐らくほとんどの人にはできないと思う。それをできるようにする必要性も私は余り感じません。

ただ、自分が生きるために他の命を踏み台している、それが故に「他の命に感謝する」という気持ちは持つことが大切だと思っています。

私は、人間って、「感性・感情・気持ち」というものと、「理性・理想・理屈」というものを持っているから、その時々の状況で判断も変わり、矛盾も多い生き物だと思う。だから、それはそれで、良いのだと思う。

いっぽうで、私が今回「願い」として書いたのはちょっとこれとは趣旨が違います。

上記で、「生まれてから身につけるもの」としましたが、対象をどうとらえるか?という価値基準は、それが故にかなり不安定なものになると思う。

障害者を自分と同じ「人間」だとどこまで思えるか?…ここの部分は、社会の中の仕組み・価値観・関係にいってかなり変わるものでしょうし、それに向けて、きちんとした対策を用いないと、叶わないと思う。

そして、Toshiさんも仰っていたように、この50年で少しづつ変わってきた・変えてきたのだと思う。意図した結果なんだと思う。だから、その「意図」を、これからもきちんと持ち続けないといけないと思う。理想(そうやれればいいな)でもなんでもなく、必要事項(やらなければいけない)ものだと思う。

長くなっちゃいました。ごめんなさい

いろいろと考えさせらることがありましたので、また後日まとめなおしたいと思っています。そのときは、またご意見をきかせてください
2006/05/04(木) 01:57 | URL | Hideki > ポチさん #JalddpaA[ 編集]
ちなみに自閉症者の数は。。。
そもそも増えてるのか、減っているのか、正確なところが私には分かりません。

仮に障害者の数が近年増えているとしても、それは今までが「自閉症そのもの」を良くしられていなかったから、本当なら自閉症という障害をもっているのに、気がつかれないか、他の障害(昔は知的障害とされたといいます)に診断されていたか、なのであって、実数そのものが増えたわけでは無いという可能性もあります。

いっぽう、本当に増えているとして、それを誘引する原因のほうが問題です。自閉症協会では否定したそうですが、食生活(重金属)に問題があるとする人たちがいます。

いずれにしても、これは「自閉症の原因が分からない…ゆえに解法も分からない」という状況がある以上、あくまでも憶測による、げなげな話にすぎません。

どう思うか?何かのメッセージを感じるか、というご質問に答えるとしたら、

もし今までは水面下に内在してよく見えなかったのが見えてきたのだとしたら、「喜ばしいこと・望ましいこと」になってきたということになります。

いっぽう、上記の食にかかわることに原因があるとしたら、そこに現代の生活の問題がある、「由々しきこと、改善すべきこと」があるのだなと感じます。
2006/05/04(木) 02:08 | URL | Hideki > ポチさん #JalddpaA[ 編集]
コメントありがとうございます
JA12Cさん、こんにちは。コメントありがとうございます。私の至らない点をフォローしてもらえて感謝しています。

> ピュアな人ほど生きにくいと感じてしまいます。

これはそうですね。これに反対になる言葉で、「要領」「割り切り」ということがあるのかな。純粋ゆえに不器用に見えるでしょうし、非効率にもなるかもしれません。

マリオをみていて感じるのが、自閉症児は「ま、いいか」ということが苦手だということ。でも、それを良いところにつなげれば、たぶん才覚を伸ばす、大きな原動力になるのじゃないかと、空想レベルではあるのですが思うのです。
2006/05/04(木) 02:15 | URL | Hideki > JA12Cさん #JalddpaA[ 編集]
トラックバックありがとうございます
どうもトラバありがとうございます。記事、拝見させていただきました。学校・教育に携わっている方の側の視点がうかがえて、とても良かったですし、ホっとしました。Toshiさんのような先生が、もっともっと増えていけば、ほんとにまだまだ日本も捨てたものじゃない、という気になります(僭越な表現、すみません)

> しかし、現在のように、食肉工場で働く人と、食べる人が分離してしまった今では

これ、私もちょっと気がかりです。分業制はいいのですが、どんどん便利になった反面、「実際の場」のリアリティを良く知らない人が増えちゃうのは、ちょっと問題だと思う。

他者、まわりの人、(もうちょっと広げて)社会に対して、きちんとした「理解」、体感に基づく「実感」を、ビビッドにもってない・もとうとしない、そんな時代の流れを感じるだけに、ちょっとまずいと思う。

自分のまわりの人を「人」と思わない。同じ人間だと思わない。それじゃ、ダメなんだと思うのです。
2006/05/04(木) 02:24 | URL | Hideki > Toshiさん #JalddpaA[ 編集]
ご説明有難うございました。
toshiさんの、説明たいへん参考になりました。それから、ごめんなさい、、、。私の意見の中にうそがあります、、、。その、、、自分でさばけないものは、いわゆる卵以外、自分が独立してから一度もたべていません、、、。何をいいたかったかというと、口先だけで言う道徳と、知らず知らずに行う行動が人間にはあるんじゃないかな、、ということがいいたかったのです。説明がへたでもうしわけありませんでした、、、。また私はそういう人間にならないよう、自分のできることから努力していますが、、、。
2006/05/04(木) 08:33 | URL | ポチ #-[ 編集]
はじめまして!
こんにちは!はじめまして。
私は、地域で「障がいを持っている子もそうでない子も一緒に過ごすことを大切にする活動」をしています。いろいろな体験活動を通して、一緒に育ちあい、学びあうことが自然なこと。その中から、障がいやお互いの立場が理解しあえると信じています。
私は社会福祉士で、障がい児の親ではありませんが、自分の子どもの人としての心を育てる上でも障がい児との関わりは大切だと確信しています。
私たちの活動に対してもなかなか理解が得られない部分もありますが、
一人づつ共感できる人の輪を拡げていくことから・・・と思っています。ですから、どうぞ一緒に動いてくれる支援者を求めてください。
きっと想いに寄り添えあえる出会いがあるはず・・・一緒に頑張って行きましょう!障がい児の親御さんの声と私たち支援者の声で社会を動かして行きたいですね。
2006/05/07(日) 17:54 | URL | zakky #-[ 編集]
これからも
健常時、障害児それぞれの立場や気持ちを大事に尊重し波風立てないよう、そっと見守っていきたいと思います。残念ですが、これでこのブログから失礼させていただきます。
2006/05/08(月) 18:12 | URL | ポチ #-[ 編集]
こんにちは
> 私は社会福祉士で、障がい児の親ではありませんが、自分の子どもの人としての心を育てる上でも障がい児との関わりは大切だと確信しています。

ありがとうございます。

じつは私自身、「徳」を育てるということが、今の日本には重要なんじゃないかと思ってたりします。

http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-107.html

交流がそれに結びつくかどうかは、ちょっと自身がありませんが、勝ち組と負け組にふるいわける教育ではなく、「勝ち方・負け方」…勝ったときの心の持ちよう、負けたときの心の持ちようを教えていく必要があるんじゃないかと思っています。

> 私たちの活動に対してもなかなか理解が得られない部分もありますが、
一人づつ共感できる人の輪を拡げていくことから・・・と思っています。


おっしゃるとおりに思います

> きっと想いに寄り添えあえる出会いがあるはず・・・一緒に頑張って行きましょう!

はい、あせらず、自然体で、しかも願うことをあきらめず、やっていきたいと思います。
2006/05/08(月) 19:15 | URL | Hideki > zakkyさん #JalddpaA[ 編集]
これからもよろしくお願いします
あわわ、なにか失礼なことを申し上げてしまいましたか?だとしたら、大変申し訳ありませんでした。

残念なんておっしゃらないで、またいつでもおかしいと思うことがあればご指摘ください。

2006/05/08(月) 19:17 | URL | Hideki > ポチさん #JalddpaA[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006/06/21(水) 15:51 | | #[ 編集]
がんばりましょう、いや、、、がんばりすぎないようにいきましょう
正直にいって、わたしたち家族の場合も、マリオが小学校の高学年になるまでは、試行錯誤…葛藤と絶望と、そして喜び、連続の毎日でした(その時々の話を過去の記事にしていますので、またお時間があるときにでも)

そこで感じたこと、そして今になって思うのは
「自然体…あせらない」ということ
「その子の良いところ、素晴らしいところ、できることをいっぱいみつける」ということ
これが大事なんじゃないか、と

そうしている中、ふっと、見ると、一段と自閉症のわが子が可愛くてしかたなく思えてきます

つらいこと、苦しいこと、くやしいこと…いっぱいあるでしょうけど、

あせらない、あせらない

がんばりすぎないように、
自然体でいきましょう
2006/06/22(木) 20:44 | URL | Hideki #JalddpaA[ 編集]
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  今日の記事は、前回、4月30日の続きである。また、本記事は、下記、☆自閉症児マリオくん☆の記事と対話するような気持ちで書かせてほしいので、お読みでない方は、それを先に読んでいただけたらありがたい。              4月30日   『障....
2006/05/03(水) 09:03:02 | 教育の窓・ある退職校長の想い
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