我が家の自閉っ子のマリオ(現在は青年ですが)の成長と、自閉独特の面白?話をお送りします。現在、 管理人がマリオの恩師と一緒に「ハッピー・クローバー」という障がい児・者を応援する会を作りました。障がい児・者の余暇を広げるためにいろいろな事にチャレンジしていきたいと思ってます。先々はマリオも手伝ってくれるといいな~

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またまた最近みつけた、お気に入りのブログ「教育の窓・ある退職校長の想い」
http://blog.livedoor.jp/rve83253/
元校長先生で、今は初任者の指導をしておられる方なんですが、いろいろと教えられる
ことが多いです。

その中での記事、「二極化現象を考える」にトラックバックします。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/339861.html

てなわけで、今回も自閉症に関係しない。。。かも(ごめんなさい)
しかも、思いっきり小難しい・お硬い話です(じゃあ書くなって?…すみません)

それでも良いよ、という方は、続きをどうぞ m(_ _)m



年末に読んだ記事(出展は忘れました)で、現代のキーワードとして「3つの社会」の
崩壊というものがありました。それは、地域社会・家族社会・会社社会の3つだという
ものです。地域のつながりが薄くなり、家族のあり方がかわり、会社との関係が変わっ
たことによる、従来の関係-社会がなりたたなくなったというんです。

いっぽうで、より一層「個」の自由が引き立つようになってきました。個の自由という
より、「個の尊重」とといったほうが適切かもしれません。「より私らしくありたい」「自分探し」
といったキーワードが雑誌の表紙に目立つ気がします。「あなたの価値観
をおしつけないで」というやりとりが、掲示板の討論では必ず出てきます。

あくまでも私見ですが、殊この10年という点だけでみれば、会社社会の変貌が一番大き
かったのではないかと思う。終身雇用制の終焉、ベア(定昇)ゼロ、老舗の超優良企業
の廃業。安定の代名詞でもあった銀行・金融ですら分からない。私が子どもの頃は受験
戦争真っ盛り…良い学校でて、良い会社に入れば、まあ何とかなるということを言われ
てましたが、それは幻想だという生々しい現実を、世の中の多くのサラリーマンにつき
つけたわけです。

一転して、独立・起業といったことが、すごく注目されました、一方で会社の中では、
それまでと180度かわった「成果主義」に。結果、ビジネススクールが大流行しました。

もちろん、私は「実力主義」には大賛成なんです。実力があって貢献している人よりも、
さしたる貢献をしていない人のほうが報酬が多いのは、どう考えてもおかしい。

でも、急激な環境変化について来れない人がいて、実力主義の御旗のもと、ばっさりと
切りすててしまったのも確かだと思うのです。そして、それを「負け組」としてしまう。

自分がいままで立ってきた価値観や前提がくずれ、しかも先がまったく見えないという
不安に直面したとき、どうなるか?不安な材料になる言葉は、新聞を毎日のように賑わ
せています。「年金破綻」「保険破綻」「所得格差」「税の水平公課」

  …自分を見つめなおし、自分の価値を洗い直し、将来にむけての像を再度描く
  …とりあえず、今という時を精一杯充足させてすごす。

この記事で指摘された「2極化」には、こんな側面も感じてしまうんです。

「刹那の時代」
  …そして、この言葉が自然に頭にうかんでしまう。
   いや、もう一個の「自律の時代」というのもあるべきなんだけど、
   一点豪華主義、一瞬の贅沢、という、刹那的な消費が目立つ気がするんです。

そして、もうひとつ加えるなら、2007年問題。実際には、それより早く起きてしまいま
したが小子化-人口減少の話です。たぶん、結婚・出産という2つの因子は、当面増え
ることはないと思います。となると、労働力という点では高齢者の再雇用ですが、それ
にくわえて外国人労働者の増加も十分考えられます。今住んでいるまわりに、日本人以
外の人がどんどんと増えてくる。

その場合、その受け入れ方を一歩間違うと、フランスと同じような状況になりかねない。
昨年の暴動が、対岸の火事の話じゃなくなってくる。

自分とはちょっと異なる、異質な人間を、同じ人間として認め、つきあっていけるのか、
自分と同じタイプの人だけしか認めない、排他的な仲間集団になっていくのか
、そこも
2極化する可能性もあります。

ちょっと話が拡散しすぎちゃいましたので、大元のトラックバック先のテーマ「教育
という点にフォーカスを戻せば、Toshi先生は

そして、ここにこそ、現代における『教育』の、最大の意義を見出すことができる。も
はや、かっこつけ、建前は、むなしいだけだ。豊かな心を育む教育、それは、時代の要
請ともいえる。急務である。


と結ばれています。この点、私はまったく同意です。

ややもすると、刹那的・排他的になってしまいがちな時代に、個の尊重という点で自律
を求められる時代だからこそ、しっかり教える必要があると思う。自分を大切にして、
自由を重要視する今だからこそ、他人・相手の気持ちを慮り、相手の為を思う「心」
しっかり育てるべきだと思う。そうじゃないと、ただの自己中なだけ。

その点でいえば、自分とは異なる存在に触れる機会を増やすことが大切なんではないか
と思う。それともう一つ、「障害児」との接点をもっと増やす事も、実は重要になって
くるのではないか?と思うのです。もちろん、学校生活はそうでない場合よりも滞る事
は多くなるでしょう。効率も悪い。授業が多少遅れるかもしれない。

でも、自分にとっては当たり前なことが、じつは当たり前でない人がいる、という事を
知ることから得られるものって、かなり大きいと思うのです。その中で、相手の苦手な
部分を手伝ってあげて、いっぽうできちんと相手を対等な人間として尊重する
。そんな
気持ちを育むのに、とても有効なのではないかと思うのです。
(何度もいってますが、実際に私自身が障害児をもって実感したことです)


また、答えが見えない中で自分なりに自分の頭で考えていくことが大切になってくると
思われます。だから、たとえば解答が無い・教師ですら正解が分からないような問題を、
一緒になって考えていくような授業
とかが大切なんじゃないかと思う。暗記中心の教科
は、ほとんど廃止しても良いくらい。


勝ち組・負け組という点でいえば、私は「勝ち組」は実は否定するものじゃありません。
自分の立てた目標・夢を達成する=勝ち組というのは、ある意味大切な話だと思う。

問題は、「負け組」の方です。自分の立てた目標を達成できなかった=失敗ならそれを
バネに頑張れば良い。だけど、「他人」と比較して負けたという今の発想・思考はあま
り宜しくない
傾向だと思う。

それは、自分より「劣っている」人への蔑みや侮辱…ひいては人格否定まで呼ぶ。
そして自分より「優れている」人へのやっかみや嫉妬…最後は歪んだ感情につながる。

この「負け組」思考を無くすことが大切だと思うのです。

だから、「運動会のかけっこ廃止のように」この勝負そのものを否定して封じ込めて
しまうのではなく、この勝ち方・負け方についてを子どもの頃から教えてあげていく
ような、そんな教育が必要になってくるような気がしてます。


#なんか、まとまりの無いお話を長々と読んでくださって、ありがとうございました
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コメント
この記事へのコメント
はじめまして。
2ヶ月ほどまえから拝見しておりましたが、初めてコメントいたします(ドキドキ…)。
我が家には10才・9才・6才の子どもがおり、真ん中の子が重度の知的障害&自閉症で、養護学校へ通っています。
養護学校へ行くと、地域との関わりが薄くなりがちですので、校区の小学校(長男が通っています)へも学期に一度交流に行きます。
同じ学年の普通学級へお邪魔しますが、みんなとても優しくしてくれます。
でも、この小学校の特殊学級に在籍するお子さんのお母さんから話をきくと、私が交流で子どもと一緒にうかがったときに受ける印象とはずいぶんギャップがあるんです。
みんながうちの子に優しいのは「お客さん」だからなのでしょうか?
「所詮違う学校の子、だからべつにかまわない」という意識なのか?と思うとフクザツです。
記事の中に『相手を対等な人間として尊重する』という言葉がありましたが、それを読んで考えてしまいました。

なんだか、この記事とはあまり関係のないコメントになってしまい、申しわけありません。
『その点でいえば、自分とは異なる存在に触れる機会を増やすことが大切なんではないかと思う。それともう一つ、「障害児」との接点をもっと増やす事も、実は重要になってくるのではないか?と思うのです。』
という部分にどきっとして、つい書き込んでしまいました。
失礼いたしました・・・。
2006/01/14(土) 01:21 | URL | candy #-[ 編集]
Hidekiさん。こんなにもわたしの記事をとり上げていただいて、ほんとうにありがとうございました。光栄です。
 わたし、これからしばらく、障害時との交流教育について、記事にしていこうと、あらためて思いました。それは、この上にあるcandyさんの記事を読んでも思ったことです。
 やはり、真の交流教育とは何かを考えていきたい。
 ただ一つ。『勝ち組(?)』の心を養うことも大切と思っていますので、その部分も記事にしたいと思っています。よろしくお願いします。

 そう。そう。『あなたの価値観を押し付けないで。』は、学校の先生にも言えることですね。今、ベテランの先生の学級が危ないということが、よくあるのですが、これはやはり、むかし慣れ親しんだやり方が、今は通用しなくなっているということだと思うのです。
2006/01/14(土) 05:47 | URL | toshi #-[ 編集]
はじめまして&コメントありがとうございます
はじめまして。どうもコメントありがとう。

> みんながうちの子に優しいのは「お客さん」だからなのでしょうか?

う~ん。。。どうなんでしょうか。そのあたりは、いろんなケースが考えられますので、あまり決め付けて考えないほうが、良いようにも思います。

たとえば、毎日顔をあわすと、相手のイヤなところがだんだんと見えてきますよね。また、ちょっと背伸びしてやってた子などは、ちょっと息切れしちゃうこともあるでしょう。

あるいは、candy さんのお子さんが、まわりの子に好かれるものを持っているからなのかもしれません。

ただ、それら諸々の障害を乗り越えて、「仲良く」なっていくんだと思うのです。そんな接触の機会がないと、理解もできなければ、仲良くもなれない。

ただ、健常児の親御さんにしてみれば、「障害児と触れ合う理由」が一番理解できない点なんだと思う。だから、言葉は悪いが、「仕方なし」にやってたりすると、何か問題が起こったときに猛烈な反感となって返ってくることになると思うのです。

> 記事の中に『相手を対等な人間として尊重する』という言葉がありましたが、

これは、自分自身に対しての戒めの意味でも書きました。子どもに限らず、いやむしろ子ども以上に大人のほうが、この点が欠けていることが多いと思うのです。

> なんだか、この記事とはあまり関係のないコメントになってしまい、申しわけありません。

いえいえ、そんなこと無いですよ。最後は障害児との接点も意識しましたし、それは個人的に大事だと思ってますので。

妻と二人で脈絡の無い記事を書き散らかしていますが、これからもよろしくお願いします。
2006/01/15(日) 17:04 | URL | Hideki > candy さん #JalddpaA[ 編集]
記事たのしみにしてます
Toshi さんの記事に触発されて記事にしましたが、支離滅裂になってしまいました。お恥ずかしい。

障害児教育との交流についての記事、楽しみにしています
(というか、すでに記事をあげられてますね。失礼しました。ちょっと金曜日から留守してまして、今はじめてチェックした次第です。早速、読みにいきますね)

> やはり、真の交流教育とは何かを考えていきたい。

障害児側からみた、交流の意義はとても良く分かると思うのです。もちろん、行き過ぎて無理をさせちゃうのは要注意ですが。

一方で、健常児側からみた、交流の意義について、いろんな視点でのお考えをお教えいただければと思うのです。障害児と触れることで、健常児にどんなメリット(というと、ちょっとイヤらしいですが)があるのか

> ただ一つ。『勝ち組(?)』の心を養うことも大切

もちろんですね。問題は、その勝ち方だと思うのです。

> むかし慣れ親しんだやり方が、今は通用しなくなっている

ここは悩ましいところで、昔のやり方の中にも良い要素はあるはずなんです。一方で、昔のやり方そのものじゃ通用しない。その、「活かす部分」「捨てる部分」の見極めが本当にむつかしい。「活かし方」「捨て方」が悩ましい。

昔のやり方を、全肯定してもいけないし、全否定してもいけないんですよね。

これは、いろんな場面(ビジネスにしても、教育にしても、なんにしても)いえる話だと思う。
2006/01/15(日) 17:17 | URL | Hideki > Toshi さん #JalddpaA[ 編集]
「相手のものさし」と「自分のものさし
Hidekiさん、こんばんは!

>自分にとっては当たり前なことが、じつは当たり前でない人がいる、という事を
知ることから得られるものって、かなり大きいと思うのです。

ここの部分、ものすごく大切なところだと思います。どうしても、人間というのは、自分をものさしにして
物事をみてしまいます。争いが絶えないのも、ここからですね。自分のものさしが相対的なものだと知ることに
よって、より深く物事を観る契機となるように思います。「他人のものさし」と「自分のものさし」が合わさって
始めて、物事の本当の姿をとらえられるような気がします。

>その中で、相手の苦手な部分を手伝ってあげて、いっぽうできちんと相手を対等な人間として尊重する。

おそらく人間はこのような形で「幸せ」を得られる存在なのかもしれません。
相手にとって、自分が役に立っているという感覚が大切だと思います。

>それともう一つ、「障害児」との接点をもっと増やす事も、実は重要になって
くるのではないか?

そのことによって、本当の「幸せ」を健常者の子どもが障害児の子どもと共に感じ取ることができれば最高ですね。
2006/01/17(火) 00:41 | URL | こだま #-[ 編集]
相手をおもいやる心
コメントありがとうございます。

> 「他人のものさし」と「自分のものさし」が合わさって
> 始めて、物事の本当の姿をとらえられるような気がします。


おっしゃるとおりですね。

所詮、自分ひとりが知っていることは、一部にすぎません。いろんな人・物事があるということ、そしてそんな相手を思いやる心があること、それがとても重要になってきてるように感じるのですよ。

> 相手にとって、自分が役に立っているという感覚

そうなんです、そして、この感覚が「はたらくこと」の原点なんだと思うのですよ。もちろん、もうけることも大事ですけどね。

これは、「奉仕」のような大層な感覚ではなくって、誰かに何かを自分がしとき、その相手がにっこり笑って「ありがとう」といってくれると、とても気持ち良いという…そんな感覚に近いものです

しかも、それは誰かにやらされるものじゃなく、自然な気持ちから出てくるものなんだと思うのです
2006/01/17(火) 22:18 | URL | Hideki > こだま さん #JalddpaA[ 編集]
大人たちが、もみ合い・もまれあう事を避けすぎだなぁ~。と思うことが…。

一方で、子どものケンカは?多くの親が『必要』と考えているようにも思います。

私のほうも取り留めなくなっていますが…。思い出した過去の経験を、ちょっと話が違うような気もしますが?
トラックバックさせていただきました。
2006/01/18(水) 10:48 | URL | NANA #yJmgU7PM[ 編集]
トラバありがとう
トラックバックありがとです

幼児期の自閉症児との接点があったんですね。ちょうど、障害児との交流についての記事をあげましたので、私のほうからもトラックバックしますです
2006/01/18(水) 23:17 | URL | Hideki > NANA さん #JalddpaA[ 編集]
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2006/01/18(水) 10:36:46 | おもいでになったとき
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